2014年01月25日
若草山の山焼き
6時30分頃から花火が上がりました。
綺麗でした。
現在は山焼きの最中です。
綺麗に燃えています。
部屋の窓からよく見えました。
綺麗でした。
現在は山焼きの最中です。
綺麗に燃えています。
部屋の窓からよく見えました。
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18:48
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2014年01月22日
きらめき歌謡ライブ
1月22日(水)午後8時05分
出演:北原ミレイ、田川寿美、真奈尚子、岩本公水、
瀬口侑希、走 裕介、菊地まどか
司会:徳田 章アナウンサー
出演:北原ミレイ、田川寿美、真奈尚子、岩本公水、
瀬口侑希、走 裕介、菊地まどか
司会:徳田 章アナウンサー
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20:03
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2014年01月04日
今日のコラム
☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆
1月4日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
はじめに言葉あり
「はじめに言葉あり」という言葉がある。聖書の中にあるそうで、私はその深い意味はよく知らないが、これは経営にもあてはまることではないかと思う。
つまり、経営者、指導者の人はまずはじめに言葉を持たなくてはならない。言いかえれば、一つの発想をし、目標をみなに示すということである。あとの具体的なことは、それぞれ担当の部署なり社員なりに考えてもらえばいい。しかし、最初に発想し、それを言葉にすることは、経営者がみずからやらなくてはいけないと思う。
そしてそれは、企業経営だけでなく、日本の国全体としても望まれることであろう。
【コラム】筆洗
2014年1月3日東京新聞TOKYOWeb
▼帰省した時、お父さんやお母さんに変わったことはありませんでしたか。正月になじまないテーマかもしれないが、正月だから書いておきたい。認知症の話である
▼両親と長く離れて暮らし、実家に帰るのはお盆とお正月だけという人は少なくないだろう。気にしてほしいのは、久しぶりに会った、お父さん、お母さんがずっと何かを探していなかったか、同じ話をたびたび繰り返していなかったか、である
▼後悔している。ある年末、帰省すると独り暮らしの母親が「自治会の役員を頼まれて困っている」と、何度も同じことを言う。そんな事実もない。おかしいなとは思ったが、年のせいだとほっておいた。次の年末はジャン・ギャバンの古いフランス映画「望郷」の話。自分で料理したのに「塩っ辛い」と妻のせいにもした
▼もういけないと思ったのは次の年末で、離れて暮らす兄が帰ってきたと言った。「そこに、いたじゃない」。病院で認知症と診断された。対応が遅れた
▼認知症は病気である。早期の治療で進行を遅らせることができる。親の老いを認めるのは難しい。信じたくないが、おかしいと感じたら病院へ連れていくべきだろう
▼心配だけしていても始まらぬ。何をすべきか。「事件の渦中に入れば、もう恐怖はない」。サンテグジュペリの言葉だ。つらい話だが、後回しにしないで、渦中へ入るしかない。
☆ 皆様は良いお正月を迎えられましたか、今日から仕事はじめの人も、寒いですが皆様にとって良い一日でありますように ☆
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05:56
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2014年01月03日
今日のコラム
☆ 新年明けましておめでとうございます 本年もよろしくお願いします ☆
1月3日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
不確実な時代はない
不確実性の時代と人はよく言います。事実、思わぬことが次つぎと起こって混乱することがよくありますが、私は不確実性ということは肯定しません。なぜなら、不確実な現象は全部人間自身の活動の所産であり、人間自身が不確実な考えを持ち、不確実な行動をするところに起こってくるものだと思うからです。
だから、不確実な考えや行動をやめたら、確実になってくる。そういう自覚で仕事をすることが大切だと思います。
未来は“確実性の時代”だという発想の転換、未来に対処する基本的姿勢の転換こそ、今日、私たちお互いの緊急重要事ではないかと思うのです。
水鉄砲 (2013/12/31)紀伊民報
大吉と小吉」
子どものころ、郷里の正月は年末のしめ飾り作りから始まった。
▼父親に習って木づちでわらを打ち、それをなって形をつくる。それに裏山からとってきた小さな根付きの松とウラジロを結び付ければ完成だ。だが、玄関と神棚には長いしめ縄、屋内の神様の分はもちろん、井戸や牛小屋、近所の八幡様や庚申様、果ては自転車に付ける分まで作るので、ほぼ一日仕事だった。
▼明けて元旦。真っ暗なうちに起き出し、若水をくんで顔を洗い、祖父を先頭に神様を拝み、仏様に手を合わせる。その後、上の間と呼ばれる座敷の中央に置かれた三方から豆や昆布、餅やコメ、クリやカヤ、ミカンや干し柿を順番に一つずつ頂く。終わると、祖父から新年をことほぎ、一年の平安と無病息災を願う簡単な訓示があって、ようやく雑煮となる。
▼家の儀式が終わると、今度は父親に連れられて、村の氏神様へお参り。そこでは決まっておみくじを引く。大抵は「小吉」である。なんで「大吉」が出ないのかと聞くと、父親は決まって「大吉は運勢のてっぺんや。そこでいい気になっていると、次は凶しかない。初めは小吉で、それが中吉、大吉になるように頑張っていくことが大事なんや」と話してくれた。
▼父は生涯を農夫として終えたが、傲慢(ごうまん)になるな、日々の努力が大切だと、折に触れて説き聞かせる人だった。家の習俗は失われたが、新年を迎えるたびに思い出すことである。 (石)
☆ 昨年はありがとうございました。皆様にとって今年も良い1年でありますように。
今日も、お立ち寄りありがとうございました。☆
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07:04
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2014年01月02日
今日のコラム
☆ 新年明けましておめでとうございます 本年もよろしくお願いします ☆
1月2日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
信念は偉大なことを成し遂げる
私は、弘法大師の開かれた高野山にのぼって、非常に教えられたことがあります。いまでこそ自動車道路も電車もケーブルもできていて、便利といえば便利ですが、お山を開かれた千百数十年前に、あれだけへんぴなところを開拓し、そこに道場をたてるという弘法大師のご執念というか、信念というものは、想像もできないほど強いものがあったと思うのです。われわれはなかなか弘法大師さんの境地にふれることはできません。けれども、私はそのとき、やはり人の心、一念、信念というものは偉大なことを成し遂げるものだということを痛切に感じて、私も自分の分に応じた一念、信念を持たなければいけないなと感じたのです。
【コラム】筆洗
2014年1月1日東京新聞TOKYOWeb
▼御慶(ぎょけい)。元日はおめでたい言葉で始めたい。落語の「御慶」が正月の一席として好まれるのは八五郎が富くじを当てる縁起の良さもあるが、それを知った仲間の誰もが八五郎を祝福する優しさではないか
▼大金を手にした八五郎は年始回りに歩きたいという。「御慶」とは大家が教えた、最も短い正月の祝詞である。元日の朝、「御慶」「御慶」と騒ぐ八五郎に、周囲は実に温かい。「大層立派になったじゃないか。良かったじゃないか。おめでとう」「見違えたよ」。ねたみも、そねみもない。青空が広がる
▼お気づきだろうが「筆洗」は宿替えとなった。これも「御慶」だ。恰幅(かっぷく)が出たし、見場もいい。半面寂しさもある
▼「筆洗」は終戦の一九四五年十月に始まった。一面の下。裏長屋の雰囲気もあったあの場所で歴代の執筆者が頭をひねって日本の「その日」を書いた
▼楽屋話になるが、書けないと、朝からお酒をあおっていた人もいる。原稿に苦しんで、なんのまじないか、神社の大木を爪で引っかいていた人もいると聞く。長屋での苦労の日々を考える
▼宿替えでも書く内容は変わらぬ。喜びには良かったねえと声をかける。嫌なことは、やはりイヤダと書くしかない。悲しい肩や寂しい背中には優しく腕を回したい。<手を取って 引き上げていく 山登り> 古今亭志ん生。今年もどうぞお引き立てのほどを。
☆ 昨年はありがとうございました。皆様にとって今年も良い1年でありますように。
今日も、お立ち寄りありがとうございました。☆
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06:25
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2014年01月01日
謹賀新年 今日のコラム
☆ 新年明けましておめでとうございます、本年もよろしくお願いします ☆
1月1日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
心あらたまる正月
竹にフシがなければ、ズンベラボーで、とりとめがなくて、風雪に耐えるあの強さも生まれてこないであろう。竹にはやはりフシがいるのである。同様に、流れる歳月にもやはりフシがいる。ともすれば、とりとめもなく過ぎていきがちな日々である。せめて年に一回はフシをつくって、身辺を整理し、長い人生に耐える力を養いたい。
そういう意味では、お正月は意義深くて、おめでたくて、心もあらたまる。常日ごろ考えられないことも考えたい。無沙汰のお詫びもしてみたい。そして、新たな勇気と希望も生み出したい。すがすがしくて、さわやかで、お正月はいいものである。
【コラム】筆洗
2013年12月31日東京新聞TOKYOWeb
▼一九七九(昭和五十四)年、紅白歌合戦の紅組のトリは八代亜紀の「舟唄」だった。山口百恵は、「しなやかに歌って」だった。サザンは「いとしのエリー」、北島三郎は「与作」。美空ひばり、藤山一郎も、特別出演している
▼アイドル、ニューミュージック、演歌に戦前歌謡までがバランス良く構成され、子どもから大人までが楽しめる。まさに歌謡曲の黄金期だった
▼それに引き換えという話ではない。「舟唄」。もともと阿久悠さんが美空ひばりを想定して書いていたと平尾昌晃さんの『昭和歌謡1945〜1989』に教えられた。<お酒はぬるめの燗(かん)がいい>。そう言われてみれば美空ひばりに似合う
▼紅白で「舟唄」を歌うシーンが降旗康男監督の映画「駅STATION」にある。高倉健の刑事がたまたま田舎町の居酒屋に入り、おかみの倍賞千恵子と出会う。おかみはこの歌が好きなのだという
▼大みそか。二人が店のカウンターで静かに紅白を見ている。大みそかは家族だんらんの日である。紅白は家族そろって見るものだった。それを孤独な人間同士が心の寒さを温め合うようにあの切ない歌を黙って聞く。名シーンだろう
▼今年も暮れる。家族の季節に孤独や苦しい思いを抱えている人、家族と過ごせない人もいるだろう。慰めにもならないでしょうが良いお年を。すばらしい一年になりますように。
☆ 昨年はありがとうございました。皆様にとって今年も良い1年でありますように。
今日も、お立ち寄りありがとうございました。☆
Posted by kazu at
06:20
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